このブログでは、百人一首好きの私が直訳、意訳を通して自分なりのオリジナルストーリーを綴っていきます。

 

こんにちは。

私はおばあちゃんになったら、駄菓子屋を開くことが夢です。それくらい駄菓子が好きなので、昨日は珍しい駄菓子をもらってとても幸せでした。そんな小さな幸せがあるから、心豊かに過ごせている気がします。たまには、とびきり大きな幸せにも期待してしまいますが…。

 

 

さて今回は、

 

十、これやこの行くも帰るも別れては

  知るも知らぬも逢坂の関

  これやこのいくもかえるもわかれては しるもしらぬもあふさかのせき

 

(画像は百人一首の意味と文法解説(10)これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関┃蝉丸|百人一首で始める古文書講座【歌舞伎好きが変体仮名を解読する】(https://honda-n2.com/honkoku-ogura-hyakunin-isshu-10)より借用)

 

 

この歌を詠んだのは蝉丸という人物です。「なんか聞いたことあるな」と思った方は、きっと坊主めくりをした時の記憶だと思います。坊主めくりで蝉丸を引くと、みんなの札が全てもらえるというルールがあり、蝉丸さんは最強だったのです!何だか懐かしいですね…。

 

 

直訳を出すために品詞分解していきます。興味のない方は飛ばしてください!

 

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これ/や/こ/の/行く/も/帰る/も/別れ/て/は/知る/も/知ら/ぬ/も/逢坂の関

 

意味のわからなかったものなど挙げていきます。

 

1、「これやこの」

たくさん分解されていますが、「これやこの」で「これがまあ、あの」のように訳すそうです。

 

2、「行く」「帰る」

この二つの動詞は、連体形で用いられているので後に「人」を補って訳していきます。

 

3、「逢坂の関(あふさかのせき)」

この歌では歌枕(和歌を詠むときに必要な歌語・枕詞・名所)として用いられています。この「逢坂の関」は、平安時代の三関(鈴鹿・不破・逢坂)の一つだそうです。相当多くの人で賑わっていたのかも知れませんね。

そして、「逢坂」は「逢ふ」との掛詞となっています。

 

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これを踏まえて直訳を出すと、

 

「これがあの行く人も帰る人も別れては、知る人とも知らない人とも出会うという逢坂の関なのだなあ。」

 

どこか他人事のように詠んでいる感じがしますね。別れの場でもあるけれど、出会いの場であるということがとてもリズミカルに歌われています。聞いたことがある人もいるかもしませんが、蝉丸さんは琵琶の名人だっと言われています。また蝉歌の名手であったという説もあります。このような面が、歌にもリズム感を出しているのかも知れませんね。

 

 

今回は、意訳は飛ばします。

 

 

〈オリジナルストーリー〉

各地を飛び廻り、たくさんの流行歌を生み出してきた蝉丸。今回は、逢坂の関に降り立った。とにかく人の多いこの地では、あっという間に時間が過ぎてしまう。しかし、見送りの人々や誰かの帰りを待つ人々の思いが確かにそこにはあった。蝉丸は琵琶を取り出し、別れる人々の新たな出会いを願ってこの歌を歌ったのだった。

 

琵琶の奏者だった蝉丸さんは、路上ライブのようにこの歌を歌ったと思いました。自分の経験を詠んだのではなく、客観的な歌だったのもそのためだと思います。大きな交通の要所だったことから、行き交う人々は別れや出会いを経てきたことが予想されます。その想像を地名と結びつけ、歌に詠んだのだと思います。以前も書いたように、やはり和歌は今で言う歌(J-POPなど)と同じような存在だったように感じますね!

 

 

 

今日はここまでです。ありがとうございました。

他の解釈があるなどありましたら、コメント欄で是非教えてください!

 

 

(参考サイト、文献)

百人一首(10)これやこの行くも帰るも別れては 品詞分解と訳

https://nbataro.blog.fc2.com/blog-entry-65.html)(2020年10月5日)

 

 

ちょっと差がつく百人一首講座

https://www.ogurasansou.co.jp/site/hyakunin/010.html(2020年10月5日)

 

 

吉原幸子・中田由見子(1986-2004)『マンガ百人一首』平凡社.