TAKURO、全員50代になったGLAYは「4人で楽しく」…ピアノ作曲のアルバムで究極の癒やし追求

スポーツ報知
TAKURO

 4人組ロックバンド・GLAYのギターでリーダーのTAKURO(51)がこのほど、スポーツ報知のインタビューに応じた。ピアノで全曲作曲したヒーリングアルバム「The Sound Of Life」を14日にリリース。3枚目のソロアルバム制作にあたり“究極の癒やし”を追求した。今作に懸ける思いやGLAYに還元できるもの、そしてバンドの未来を語った。(加茂 伸太郎)

 TAKUROは「TERUさんから『眠くなるね!』というパワーワードをいただきました」と笑った。今作を聴いた盟友から得られた期待通りの返答。「掛けてほしい言葉は『2曲目までもたなかった。1曲目で寝ちゃったよ』。それが僕にとって最高の褒め言葉になると思います」と出来栄えに自信をみせた。

 求めたのは「究極の癒やし」。4日間、無我夢中でピアノへと向かった。きっかけは2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻だった。

 「連日のニュースに、心が疲弊しているのを感じた。コロナ禍の影響もあるかもしれない。心を落ち着かせようと、救いを求めたのが音楽でした」

 ピアノだけで全曲(10曲収録)を作曲したのは初めて。メロディーが生まれる度に心の傷が癒え、力がみなぎるのを感じた。「『音楽で元気になった』と励まされ、30年やってきました。僕たちが今を生きる人、次を担う人に安らぎを与えたい。究極の癒やしが深く優しい眠りだとすれば、言葉やバンド演奏ではなく、それを誘(いざな)う音楽を届けたいと思いました」

 ヒーリングミュージックの大家で、米グラミー賞受賞キーボード奏者ジョン・ギルティンと出会い、制作を進めた。「Sound of Rain」では雨音、「Early Summer」では虫の鳴き声など環境音が加えられ、方向性が定まっていった。

 ソロアルバム3作目。「メロディーを磨きたい」と悩んでいた頃、B’zの松本孝弘(61)に「アルバムを作れば、ギターと向き合える」と助言され、16年に初ソロ作品「Journey without a map」を手掛けたことに始まる。19年の「―2」まではジャズ、ブルースを奏でたが、今作は趣向が変わった。「聴く人が聴けば、TAKUROメロディーと思うかもしれないけど、多くの人に『一聴しただけでは誰か分からない』と言ってもらえた。ギターの手癖のないピアノで作曲できたのは飛躍につながるし、より音楽が好きになった」

 現在もTERU(51)、HISASHI(50)、JIRO(50)とは切磋琢磨(せっさたくま)し合う仲。「テレビをつければ、TERUは桜井(和寿)くん、MISIAの横に。小学校の同級生が2人に挟まれ、遜色なく歌うの見ると、とんでもないことだなと思う反面、同じメンバーでいることにプレッシャーも感じる。現状に甘んじないで必要な技術、資質を証明しないと、3人に置いていかれてしまう。自分の中では常に進化していたいです」

 GLAYは1994年にシングル「RAIN」でメジャーデビュー。四半世紀以上が過ぎ、全員が50代に到達した。「今後GLAYをどうソフトランディングさせるか―リアルに考えるようになりました。体力の衰えは感じないけど(業界の)先輩たちを見てきて『どういった形でバンドのフィナーレを迎えるべきか』『夏のイベントはあと何回できるかな』って。40代以前にはなかったマインドですね」

 志半ばで夢破れたバンド、仲たがいして崩壊していったバンド、さまざまな背中を見てきた。継続することの難しさは痛いほど分かる。

 「みんな、永遠を願うじゃないですか。GLAYが、その永遠をやれている価値は理解しているつもりです。いい曲を作る、いい詞を書くのは経験を積めば、ある程度できる。でも、今はそこじゃない。バンドを作った16歳の頃のように、4人で楽しくワイワイとやれたらいい。それだけです」

 〇…収録曲「Red Sky」では、グラミー賞で最優秀クラシック・ソロ・ボーカル・アルバム賞に輝いたチェロ奏者の松本エル(31)とコラボ。TAKUROは「大谷翔平のスイングを2メートル近くで見るような、イチローのレーザービームを間近で見るような。圧倒的な才能の塊。一投目を見て跪(ひざまず)くしかなかった」と感嘆。「天から与えられたギフトと努力で、ここまで深い音が出せるのか」と興奮気味に語った。

芸能

×