国宝姫路城の第天守保存修理工事
( 2009年6月〜2015年3月 )
姫路城(白鷺城)には何度か行きましたが
日本100名城、続・100名城巡りをするように
なってから今まで以上に興味が湧きました。
過去にフイルム写真で撮ったものを思い出し、
デジタルカメラで撮ったものとを比較しました。
修理中のクレーンとの2ショットはもう二度と見れないと
思います…。
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2024/05/01 20:54
2024/04/24 22:11
まさにヒメイジング (2024/04/20 訪問)
久しぶりに姫路城に行ってきました。前回は修復工事が終わったばかりだったので大天守は屋根まで白く輝いていましたが、だいぶ貫禄が出てきましたね!これはこれで良いです。まさに「お城」って感じで貫禄たっぷりです。
これだけ多くの建築物が残っている近世城郭は国内には、ほぼ存在せず明治の廃城令や昭和の空襲を生き延びた姫路城はまさに奇跡の城です。明治時代には民間に23円50銭で払い下げられたりもしましたが、いつの間にか国有化され陸軍の中村大佐やドイツのブラント公使らの働きかけで名古屋城とともに保存が決定され、国費9万3千円で「明治の大修理」が行われています。明治の時代から令和の今に至るまで洋の東西を問わず(いろんな国の人がたくさん来てる)多くの人を魅了する城です。
まさにアメイジング、いや姫路だけにヒメイジングです。(言ってしまった‥)
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2024/04/23 21:49
あのころ君は「箱入り姫さん」だった (2013/09/21 訪問)
先週土曜日に久しぶりに姫路城に行ってきたのですが、せっかくなので最初に訪問した時の写真も掲載させていただきたいと思います。もう10年以上前の話ですが、この時は平成の大修理で大天守の解体工事をやっていました。人も今ほど多くなく、お菊井戸の周囲にも人はそれほどいませんでした。大天守は建屋の中に納まっていて通常の拝観料でエレベータで修理中の様子を見学することが出来ました。
しっかりしてらっしゃる‥。とはいえ、通常では見ることの出来ない大天守最上部をガラス越しとはいえ確認することができたのは貴重な経験でした。そういえば西の丸にあった、千姫がかるたやら貝殻合わせをしていた人形は無くなってしまったんでしょうか? ちょっと残念ではありますね。
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2024/04/22 12:40
あの頃の君は白かった (2017/05/16 訪問)
今日はわけありリモートDAYです。昼休みの時間を使って投稿させていただきます。土曜日に久しぶりに姫路城に行ってきました。実に7年ぶりの訪問です。前回訪問した際は2017年の5月ごろで、ちょうど平成の大修理が終わって白漆喰も塗りあがったばっかりの時でした。
外観だけなら、ほぼ新築同前です。大天守だけね。
最新の写真の投稿の前に2017年の写真を投稿させていただきたいと思います。大天守だけ異様に白いですね。「白すぎ城」と言われていたころの姿です。いまでは白漆喰もすっかり黒ずんできてますが、このころはこんなに白かったんですよ。見てるだけで不思議な気分になってきます。老人会の集団がこの城を見て走り出した時は、何が起こっているのかと焦りましたね。お年寄りの集団が走り出すくらい、白くてキラキラしてましたね。
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黒田重隆の居城を羽柴秀吉が改修し、関ヶ原合戦後に池田輝政がさらに大改修を行って連立式天守を完成。そして本多忠政が西の丸などを造築し、現在の姿になった。渡櫓で結ばれた4つの天守のうち、大天守は平成の大修理によって白漆喰が塗り替えられ、白鷺城と呼ばれた往時の美しさを甦らせた。
城地種類 | 梯郭式平山城 |
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築城年代 | 正平元年〔南朝〕/貞和2年〔北朝〕(1346) |
築城者 | 赤松貞範 |
主要城主 | 池田氏、本多氏、酒井氏 |
文化財史跡区分 | 世界遺産(姫路城)、国宝(大小天守・渡櫓等8棟)、国重要文化財(櫓・渡櫓27棟、門15棟、塀32棟)、特別史跡(姫路城跡) |
近年の主な復元・整備 | 黒田孝高、池田輝政 |
天守の現況・形態 | 型式不明[3重/1580年築/解体]、連立式望楼型[5重6階地下1階/1609築/現存] |
主な関連施設 | 石碑、説明板 |
主な遺構 | 曲輪、天守、櫓、門、塀、石垣、横堀(水堀)、土塁、庭園 |
住所 | 兵庫県姫路市本町68 |
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問い合わせ先 | 姫路城管理事務所 |
問い合わせ先電話番号 | 079-285-1146 |