体が覚えていた故郷の技…[藁を探して]<5>

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佐賀のユネスコ無形文化遺産・蓑の作り手途絶えピンチ――川崎の94歳藁細工「師匠」が支援

  わら 仕事の名人は、首都圏の大都市にいた――。川崎市在住の荒川 美津三みつぞう さん(94)は、藁細工に関心のある人たちから「師匠」と呼ばれる存在だ。宮城県の農家で少年期から藁に親しみ、川崎での会社勤めを経て75歳になってから本格的に再開した。国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録された伝統行事の継承にも貢献する現役の職人だ。(編集委員 古沢由紀子)

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試作したカセドリの蓑を着けた荒川さん(左)と御厨さん。実際の行事では背蓑の前を閉じる。手前は藁の鍋敷きなど(今年5月、川崎市で)=鈴木竜三撮影
試作したカセドリの蓑を着けた荒川さん(左)と御厨さん。実際の行事では背蓑の前を閉じる。手前は藁の鍋敷きなど(今年5月、川崎市で)=鈴木竜三撮影

宮城県の農家出身、川崎で就職後も故郷の注連飾りを自作

 荒川さんは宮城県南部の現在の丸森町で8人きょうだいの7番目に生まれた。子どもの頃から家の仕事を手伝い、藁は常に身近にあった。「当時の農家は自給自足で、 (みの) や履物も自分たちで作るしかない。雪の季節は、父が炉端でしていた藁仕事を見よう見まねで覚えた」という。

自宅のアトリエで縄をなう荒川さん
自宅のアトリエで縄をなう荒川さん

 戦時下の小学校では縄ないをする時間があり、競技会も開かれた。「一等賞にはなれなかったが、自分は器用な方だった」と語る。青年学校に進むと俵作りの競技会もあった。農閑期に地域の若い衆が集まって車座になり、雑談をしつつ藁仕事の腕を披露し合ったのは楽しい思い出だ。

 故郷を離れ、戦後に工業地帯として発展した川崎で働き始めたのは23歳の頃。製鉄会社に就職した兄のつてで下請けの製鉄所に入り、その後は石油会社に移ってプロパンガスの販売などに携わった。

 都会暮らしの中でも、年末には実家から藁を送ってもらい、 注連(しめ) 飾りを自作することを忘れなかった。「藁細工をしながら、ふるさとを思い出していた」と振り返る。

日本民家園で活動――体が覚えていた藁仕事、確かな腕が評判に

荒川さんが編んだ藁草履。ミニチュアがかわいらしい
荒川さんが編んだ藁草履。ミニチュアがかわいらしい

 請われて75歳まで石油会社に勤めた荒川さんが、第二の人生で力を注ぎたいと考えたのが藁細工だった。それが実現したのは、川崎に住んでいたことの影響も大きい。

川崎市立日本民家園では、移築された古民家の軒先で手仕事の実演が行われる。縄ないをする民具製作技術保存会の中島会長
川崎市立日本民家園では、移築された古民家の軒先で手仕事の実演が行われる。縄ないをする民具製作技術保存会の中島会長

 川崎市には、全国の古民家を移築、保存した「川崎市立日本民家園」が高度経済成長期に開園した。藁細工や機織りなどの実演と講習会を行う市民グループ「民具製作技術保存会」も園内で活動する。工業都市の川崎には他県出身者が多く、地方出身の腕に覚えのある住民らの協力も得て、技術の伝承を目指す全国でも珍しい取り組みだ。「製作の実演にとどまらず、様々な藁細工の作り方を詳細に聞き取り、再現できるように冊子にもまとめてきた」と現会長の中島安啓さん(59)は説明する。

 荒川さんも退職後、本格的に同会の活動に参加した。「体が自然に動いて、手先が作り方を覚えていた」という。藁細工の講師役を務め、丸森に伝わる蓑の作り方の記録製作にも携わった。

 確かな腕が評判となり、地元の神社の注連縄作りや、孫が通った小学校の体験活動の講師などを務める。藁細工を志す人が各地から教えを請いに訪れるようになり、映画の出演者に 草鞋(わらじ) 作りの所作を指導したこともある。

「来訪神」カセドリ行事、蓑の作り方指南――京都の団体がサポート

 荒川さんが関わるプロジェクトが、佐賀市に伝わる民俗行事「見島のカセドリ」の蓑製作技術の継承だ。2018年、ユネスコの無形文化遺産に秋田のナマハゲなどとともに登録された「 来訪神(らいほうしん) 行事」の一つで、約380年の歴史があるとされ、集落だけでひっそりと続けられてきた。

 毎年2月、未婚男性2人が蓑と (かさ) を着けた神の使い「カセドリ」の姿で集落の民家を回る。青竹で床を打ち鳴らし、疫病退散や五穀 豊穣(ほうじょう) を祈願する行事だ。

蓑と笠を着けた男性2人が民家を回る佐賀市の「見島のカセドリ」(今年2月)
蓑と笠を着けた男性2人が民家を回る佐賀市の「見島のカセドリ」(今年2月)

 現在使われている蓑は約10年前に作製されたもので劣化が目立つが、作り手が途絶え、製法も分からない状態だった。地元の「加勢鳥保存会」が公民館にチラシを置くなどして蓑を作れる人を探したが見つからない。佐賀市を通じて支援を求めたのが、京都市と同市芸術センターが設置する「伝統芸能アーカイブ&リサーチオフィス(TARO)」だった。全国各地の古典芸能や民俗行事の保存や活性化を目的に「伝統芸能文化復元・活性化共同プログラム」を実施しており、見島の蓑製作継承は20年度の公募で事業として採択され、経費などを京都市が負担する。

 同プログラムでTAROが藁の研究で知られる宮崎清・千葉大名誉教授に相談し、推薦されたのが「荒川師匠」だったのだ。荒川さんに師事する東京都小平市の御厨真澄さん(71)のサポートも得て、独特な蓑の作り方を解明して保存会の人たちに伝える取り組みが始まった。

 見島の蓑は藁の先端のミゴと呼ばれる部分だけを抜き取り、長さをそろえて縄につないでいく作業に手間がかかる。保存会の武藤隆信会長(70)によると、東北など雪国の藁の蓑と異なり、細くて硬いミゴを使った蓑は「密に編まれているので雨がしみこみにくい」という。

 荒川さんと御厨さんは、基本的な製法は維持しつつ、裏側の複雑な編み方を一部簡略にし、修理もしやすいよう工夫した蓑を試作した。地元の人たちが自らの手で作れるようにすることを目標に、新型コロナウイルス禍の中で計4回、オンラインの講習を実施。今年9月には武藤さんら保存会の4人が川崎を訪れ、初めて対面の講習会が開かれた。事務局では記録映像も製作している。

 「無形文化遺産に登録された重みもあり、伝統を守るため技術を習得できるのはありがたい」と武藤さんは話す。早速、来年の行事に向けて保存会で蓑の補修を始めるという。荒川さんも「自分の技が役に立ってうれしい」と笑顔を見せた。

民俗行事、伝統芸能の用具などの製作 担い手確保課題

 見島のカセドリ行事は国の重要無形民俗文化財に指定されている。用具などの修理や新調に文化庁から事業費の半額補助を受けられる制度はあるが、少額の事業は対象になりづらく、作り手を探すなどきめ細かい支援を得るのも難しい。京都市による今回の事業は、継続して蓑製作技術が伝承される体制を築き、全国のモデルを目指すという。

 他の行事や民俗芸能の現場でも、用具などの継承が困難になっている。特に毎年多数が必要になる草鞋などは地元で作れる人が激減し、各地域で製法も異なるため、作り手の確保に苦労する傾向がある。文化庁の吉田純子・主任文化財調査官は「行事や民俗芸能の衣装や履物は、伝統的な素材や作り方を変えると身に着ける人の所作に影響を及ぼす可能性もある。作り手や素材の生産者と行事の担い手をつなげることが大切だ」と指摘する。

荒川さん(右)にカセドリの蓑の作り方を習う武藤さん(左)ら保存会のメンバー(川崎市内で)
荒川さん(右)にカセドリの蓑の作り方を習う武藤さん(左)ら保存会のメンバー(川崎市内で)

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