ゴミ屋敷での孤独死はコロナ前から頻発していたが、コロナ以降はさらに深刻なものとなっている(撮影:菅野久美子)

コロナ禍で「孤独死」の現場は二極化した。周囲とのつながりを持っていた人は早期発見されたり、すんでのところで命を取り留めることができた一方、つながりの弱い人は孤立を深め、死後数ヶ月間も放置された。

特集「1億『総孤独』社会」では、あらゆる世代の孤独と孤立に迫った(一覧はこちら)。

孤独死という現象に向き合うようになり7年余りが経つ。特殊清掃のほとんどが孤独死だ。引き受けるのが特殊清掃業者である。


私は彼らの現場に密着し、その過酷極まりない作業を時に手伝いながら、日本社会が抱える孤独という病巣を見つめてきた。

孤独死は日本社会を映す鏡だ。私たちの社会が急速に無縁社会へと突き進んでいることを如実に表している。もちろん、家で1人で亡くなることが悪いわけではない。在宅死は、私自身を含め一人暮らしなら誰にでも起こりうる。問題は、そのもっと手前にある「社会的孤立」である。今、特殊清掃の現場に感じるのが、深刻な二極化だ。

コロナ禍になり、遺体発見までの日数が増えた。コロナ前だと、数日や数週間で見つかっていた遺体だが、数カ月は放置されたとみられる案件に遭遇することが多くなったのだ。

コロナで露呈した「社会的孤立」

一方、数日で遺体が見つかったり、すんでのところで命を取り留めるケースも増えている。コロナをきっかけに家族や親族が連絡を密に取り合うようになったからだ。つながりを持つ強者はSNSなどを駆使してより関係を深めた反面、コミュニケーションからあぶれた弱者はさらに孤立し、捨て置かれる。コロナは、日本の抱える「社会的孤立」をより残酷な形で浮き彫りにした。

孤独死の多くを占めるのはセルフネグレクトだ。自己放任とも呼ばれ、自分で自分の身の回りの世話ができなくなることを指す。医療の拒否や、ゴミ屋敷化、過剰な数のペットの飼育などが挙げられ、緩やかな自死ともいわれる。その背景に感じるのは、孤独である。


コロナ禍でとくに深刻な状態へと陥ったのは中間層だ。彼らは少なからず預金があったり不動産などの資産を持っている。そんな一般の人々が親族や近隣との「縁」から切れた結果、セルフネグレクト状態へ陥ってしまう。結果、長期間にわたって遺体が発見されないという事態が頻発している。

「餓死か、凍死だと思う」

ある業者から連絡が入ったのは、コロナ禍が始まってすぐの頃だ。都内某所のマンションの一室を訪れると、部屋にはエアコンがなかった。木製のシングルベッドには、掛け布団や毛布すらなく、赤茶けた薄いタオルケットがあるだけだ。

若くして妻と死別

冬の極寒も夏の猛暑も、男性は独りこの部屋で耐えていたのだ。男性は、かつては個人事業主でこの部屋に妻と2人で住んでいた。しかし、若くして妻と死別。腰か足を悪くしてからは、貯金を取り崩して生活していたらしい。トイレには補助用の新しい手すりがあったが、医療や介護などの福祉サービスとつながっている形跡はなかった。即席麺やソースなどが床に転がっていたものの、最後には食べる気力すら失っていたようだ。

「部屋の状況と体液の量から推測するに、彼は栄養の行き渡らない体で徐々に衰弱し、最後は冬の寒さで凍死したんだと思う。晩年は、熱さ、寒さなどの感覚すらなくなり、彼の目には季節さえ灰色に染まっていたんじゃないかな」

清掃を手がけた業者は、やりきれない表情でそうつぶやいた。男性が妻を亡くした後にセルフネグレクトに陥っていたことは明らかだった。離婚や死別、失業をきっかけに社会から孤立し、不摂生となり、命を落とす人が男性には多い。妻や仕事を通じて保っていた社会とのつながりが切れたことで、一気に身を持ち崩してしまうのだ。

都内の築50年の風呂なしアパートでは、コロナ禍によって社会との唯一の接点を失った男性の孤独死の現場に立ち会うこととなった。灼熱の暑さの中、男性は布団の中で、こと切れていた。

「これは1カ月どころじゃない。数カ月は放置されているな」

特殊清掃業者は現場を見るなり、そうつぶやいた。男性は病気で体を悪くしてから、生活保護を受給していた。清掃の途中で業者は、「新型コロナのため、訪問は当分控えさせていただきます」という福祉関係者のメモ書きを見つけていた。男性は福祉関係者以外、人とのつながりは皆無だったようだ。メモは、コロナ禍になり男性と外界とをつなぐたった1つの糸が、プツリと断たれたことを示していた。

セルフネグレクトでも深刻なのが、ゴミ屋敷だ。夏場のゴミは熱を持ち、室内はすさまじい高温となり、命さえも奪う。真夏に訪れた関東某所の4LDKマンションには、天井に届くほどのゴミがあった。女性は自らがため込んだゴミにつまずき、長期間放置され、命尽きた。高齢者の場合、室内での転倒は頻繁に起こりうる。転倒は、とくに人とのつながりが少なく発見が遅れると、命取りとなる。

長期間放置される遺体

私が女性の部屋で衝撃を受けたのは、部屋の真ん中で無残に傾いた巨大な食器棚だ。成人男性の背丈ほどある食器棚は大きく傾き、今にも倒れそうになっている。東日本大震災の爪痕だった。管理人によると、女性は子どもとは疎遠で、近隣住民との付き合いもほとんどなかった。だから地震で傾いた棚を元に戻すことができなかったのだろう。女性はこの危険な部屋で生活していた。時が経ち、棚の周りはゴミで埋め尽くされた。傾いた棚は、生前の女性の孤立を象徴していた。

神奈川県の瀟洒(しょうしゃ)な分譲マンションで落命した70代男性の部屋も、孤立を感じるものだった。広々とした4LDKの室内は真っ暗でとにかく息苦しい。電気をつけると、その理由がわかった。男性は窓という窓、穴という穴に目張りをしていたのだ。まるで外界を遮断し、はねつけるかのように──。

酸素が薄いこの部屋で、男性は独り寝食をしていた。床を埋め尽くすのは、コンビニ弁当など食べ物のゴミ。キッチンにはなだらかな山を築く形でゴミが積もり、男性はそこに埋もれるように息絶えていた。独身で、退職後マンションに引きこもるようになっていたらしい。異変に気がついたのは近隣住民だった。マンションのフロア全体に暴力的な悪臭が立ち込めていたからだ。長期間放置されすぎて、死因は不明だった。

前述の女性もこの男性も、部屋の清掃依頼をしたのは管理組合である。遺族が関わりを拒否したり、相続人が不明だったりしたためだ。それでも不衛生な状態は放置できず、管理組合の理事たちが困惑しながら対処に当たる──。無縁社会を地でいくような話だが、もはや特殊清掃の現場では日常風景だ。

日常風景となった「無縁」

コロナ禍では一家で孤立していたケースにも遭遇するようになった。熱中症で命を落とした50代の女性は、精神疾患を抱え、ある時期までは両親と支え合って暮らしていた。しかし父親が亡くなり、母親は病気で施設に入ってしまう。現場に立ち会った福祉関係者は悔いていた。女性が「これから1人でどうやって生きていったらいいのか」と戸惑い、逡巡した形跡のあるメモを見つけたからだ。

一人暮らしであれば民生委員が訪ねることもある。しかしこの一家は単身世帯ではなかったため、女性への支援が遅れた。家に取り残された女性は、どれだけ深い孤独と絶望の中にいたのだろう。

家の中にぜいたく品はいっさいなく、生活を極限まで切り詰めていたことがわかる。その理由はすぐにわかった。福祉関係者が数千万円の貯金を見つけたからだ。女性の両親は、いずれ残される娘のために必死で貯金をしていたのだろう。しかし結局その大金は、女性のために使われることはなかった。

コロナがあらわにしたのは、離婚や死別、失業、病気などにより、社会や地域とのつながりが切れ、孤立し、その場に崩れ落ちてしまった声なき人々の姿だ。何度も言うが、孤独死そのものではなく、個人や家族が社会から疎外されていたことに、悲劇がある。


孤独死の現場では最後まで遺族が現れないこともある(写真左)。遺体の発見が遅れると体液が床の奥に浸透し、作業工程も増える(写真右)(画像:武蔵シンクタンク)

コロナ禍で二極化が進み、孤独死の現場はより一層過酷になった。長期間放置されればされるほど部屋は激しく損傷し、ウジやハエが大量発生して、清掃費用もかさむ。作業に当たる方も感染症などの危険から、全身防護服に身を包み防毒マスクをかぶるなど、万全の態勢で挑まなければならなくなる。

凄惨な死の現場から社会を見上げると、日本を取り巻く孤立の問題は、より深まるばかりに思える。

大切な何かを物語っている

特殊清掃業者の献身的な仕事によって、部屋は確かに元どおりとなる。しかし私は、キレイになった部屋を見て、いつも思う。私たちはこの現実から、いつまでも目を背けていられるだろうか、と。孤立した人々が、ひっそりと息絶え、ひっそりと葬られ続ける社会を、健全な社会といえるのだろうか、と。

私が見つめてきた現場には、時に自己責任という言葉に縛られ、周囲に助けを求められず、こぼれ落ちた人々の姿があった。それは紛うかたなき日本の暗部である。

壁一枚隔てた向こう側にある孤立、そしてその先にある死は、いつ私やあなたが当事者になってもおかしくない現実を突きつけている。そして私たちが置き去りにした、大切な何かを物語っている。


(菅野 久美子 : ノンフィクション作家)